こんにちは〜chikuwaです!
2020年12月14日放送の『激レアさんを連れてきた。』でサラリーマンから趣味で、プロレスの衣装を作った職人について紹介されるみたいです。
ということで今回は、
プロレスの衣装を趣味で作った職人である、小栗修を調査してみました!
激レアさんの小栗修のプロフ経歴!
どんな人なの?
【ポッドキャスト】NWA本部は、リングコスチューム職人で、KONDOU SHOES代表の小栗修との延長戦を配信開始した。小橋建太のオレンジコスチュームや天龍源一郎のRevolutionジャージなど、製作の裏話が楽しめる。配信期間は2か月限定。(番記者)#美獣 https://t.co/EyREn20kR6 pic.twitter.com/JTLHNpjwxr
— 真夜中のハーリー&レイス (@HandsomeRace) April 9, 2018
生年月日:1971年4月29日
年齢:49歳
出身地:神奈川県茅ヶ崎市
東海大学 体育学部卒業
小学校:小和田小学校
中学校:赤羽根中学校
出身高校:鶴嶺高校
身長:183㎝
菱沼でプロレスの衣装などを販売しているそうです。
店の名前は、「KONDOU SHOES」。
この店をを自宅の近くに出しているそうなんです!
サラリーマン時代の経歴を調査!
大学を卒業して、普通に会社員として働いていたようで、
まさか、自分がプロレス衣装を仕事にすることにんなるとは思ってもいなかったんだとか。
就職した会社は、スポーツメーカーの会社。
ここで、選手からの個人的な依頼でコスチュームを作っていたようなんです!
この職業がいまのプロレス衣装の役に立っているわけですね!
ちなみにサラリーマン時代に、上司から「営業はモノを売るのではなく自分を売ることだ」と言われたのが印象に残っているのだとか。
仕事もプロレスも信頼関係が大事!アフターケアは怠らない!
コスチュームは、伸縮性や耐久性が求められる為、
リング状でスポットライトの当たった時の見え方を確認して、レスラーをカッコよく見せることができるよう心がけているんだとか。
その為、衣装の材料(生地)を買うために韓国へ行くこともあるそうです。
日本国内だけではなく、韓国にまで記事を探しに行ってみたり、衣装を作った後に衣装の見え方を確認しに行くっていうところから、本気度が伝わってきますよね!
さらに、アフターケアもしっかりしていて「コスチュームが破れてしまった」という連絡があると、翌日には新しい衣装を送るんだそうです。
激レアさんの小栗修がプロレスの衣装を仕事にまでを調査!
プロレス好きになったきっかけはおばあちゃん?
おばあちゃん子で、物心がつく前から、おばあちゃんとプロレスを見ていたんだとか。
そして、母親は、3万円もするタイガーマスクの覆面を買ってくれていたらしいんですが、
小学5年の時に自分でマスクを作ろうとして3万円のマスクを分解していたそうですよ。
その後、母親がミシンの使い方などを教えてくれたんだとか。
いつ頃からプロレス衣装の製作を仕事にしたの?
時期は、いつからなのかまではわかりませんでしたが、会社員生活は約30年していたそうです。
となると現在49歳なので、最近まで会社員をしていたのかもしれないですね!
小栗修のコスチュームメーカー「KONDOU SHOES」は自宅の近くにあり、
「全日本プロレス」「新日本プロレス」団体の業界シェアの8割を1人で作るまでになっていて、これまで500人以上のプロレス衣装を作っていたんだとか。
プロレス衣装以外にも、AKB48のドラマ出演の衣装だったり、お笑い芸人の衣装も作っているそうですよ。
趣味から職人になったのは、タイガーマスクの一言が関係してた?_
二代目タイガーマスクの試合が後楽園があって、サインをもらおうとしたら、
三沢光晴選手に『俺のも作ってくれよ』といわれたそうです。
こういうことも、現在のプロレス衣装づくりの仕事のきっかけになったのではないでしょうか?
既に初代タイガーマスクは引退して、二代目タイガーマスクの試合が後楽園であったので、手作りのタイガーマスクの覆面にサインを貰おうと持っていったら『俺のも作ってくれよ』とタイガーマスク(三沢光晴選手)が言ってくれたのです。
冗談半分かもしれないけれど、こっちは真に受けちゃうじゃないですか(笑)
「やります!」と言って新たに作り、その覆面を実際に三沢選手は被って戦ってくれたのです。
もう、感動ですよね!
小栗修のまとめ!
- 大学を卒業して、普通にスポーツメーカに会社員として働いていた。
- 小栗修のコスチュームメーカー「KONDOU SHOES」は自宅の近くにある。
- 学生時代はバレー部で自分でコスチューム作りをしていた。
- プロレス衣装以外にも、AKB48のドラマ出演の衣装だったり、お笑い芸人の衣装も作っている。
- あ二代目タイガーマスクの試合が後楽園があって、サインをもらおうとしたら、三沢光晴選手に『俺のも作ってくれよ』といわれた。
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