山田耕筰の生涯や代表曲が気になる!生い立ちや経歴を調査!

芸能

こんにちは~chikuwaです!

山田耕筰。

現在放送されている、朝の連続テレビ小説「エール」

に小山田耕三として出ていて、

亡くなった志村けんが演じていましたね。

なくなってしまったのは、悲しいですが、

また志村けんの活躍が見れるのは、少し嬉しいような・・・

 

という事で今回は、

志村けん演じる小山田耕三のモデルとなった、

山田耕筰の生涯や代表曲が気になったので、

生い立ちや経歴を調査しました!

 

山田耕筰の生涯や代表曲が気になる!

山田耕筰の生い立ちや経歴を調査!

山田 耕筰(やまだ こうさく)は、

1886年6月9日東京府東京市本郷に生まれました。

現在は、東京都文京区。

 

父は、医者。

でも、山田 耕筰が10歳の頃亡くなってしまいました。

 

それから、

山田 耕筰は、巣鴨宮下の自営館に入り、

姉のガントレット恒を頼って

岡山の養忠学校に入学する13歳になるまで、勉強していたようです。

 

それから、姉の旦那(エドワード・ガントレット)から西洋音楽を教えてもらい、

14歳に関西学院中学部に転校し、16歳の時に「MY TRUE HEART」を作曲。

 

それから関西学院中学部を中退し、

 

1904年に東京音楽学校予科入学。

 

4年後の1908年東京音楽学校声楽科を卒業しました。

 

 

それから、代表作「赤とんぼ」などを作曲し、

オーケストラも2度経営。

 

 

晩年は、

1965年11月、聖路加国際病院に入院。

それから、同年12月4日、成城の自宅に退院し、

12月29日に心筋梗塞に79歳で亡くなりました。

 

ちなみにお墓は、東京都あきる野市の西多摩霊園にあるそうです。

気になる方は、行ってみては?

 

 

山田耕筰の代表曲は、どんなものがあるの?

  • 赤とんぼ
赤とんぼ ( Rote Libelle) / 三木露風 作詞 / 山田耕筰 作曲

 

  • 曼珠沙華 ひがんばな
奥田良三 Ryozo Okuda – 曼珠沙華 (ひがんばな) (1936)

 

  • 待ちぼうけ
まちぼうけ byひまわり 歌詞付き|唱歌|Machibo-ke|

 

 

 

  • あわて床屋
あわて床屋

 

  • 鶴亀
山田耕筰「交響長唄楽 ”鶴亀”」(1934) / 森正 / 東京交響楽団 / 東芝盤

 

  • 鹿児島県民の歌
鹿児島県民の歌

 

  • 東京市歌
東京市民歌 東京市歌 [米倉俊英] ●市歌

 

  • ペチカ
童謡「ペチカ」

 

など様々な曲を作曲していました。

 

 

山田耕筰は、女好き?山田耕筰の女性関係を調査!

山田耕筰の夢だったオーケストラを2度も断念した理由は女?

さてさて、

山田耕筰は女好きとしても知られているんですよ!

 

こんな真面目そうと言いいますか、

NHKの朝ドラの出てくる位だから

そんな感じがしないような気がするじゃないですか!

 

それが違うんですね~

山田耕筰は、ホントに女好きなんです!

 

それが分かるのがこのエピソード!

山田耕筰は、夢だったオーケストラを2度経営するのですが、

 

2度もオーケストラ経営を辞めてしまうんです。

 

ここで問題なのが、最初のオーケストラ集団を経営したとき!

 

まず、初めに山田耕筰が経営したオーケストラ集団が、

【東京フィルハーモニー会】

 

山田耕筰がオーケストラを経営したい理由、

「日本での本格的なオペラの上演」と「常設オーケストラの設立」

を叶えるべく、経営したオーケストラ集団。

 

オーケストラ経営のためのお金は、三菱財閥総帥の岩崎小弥太という人物に協力してもらっていたようです。

(その時の山田耕筰は、お金がなかったので)

 

 

山田耕筰と岩崎小弥太の関係ですが、

それは、岩崎小弥太が東京の音楽学校で、チェロを教えていた時の事

 

同じ、チェロ教師のハインリヒ・ヴェルクマイスターが

岩崎小弥太に「山田耕筰は、音楽の才能がある」と紹介したのがキッカケみたいです。

 

それから、山田耕筰と接点を持った岩崎小弥太は、

山田耕筰のオーケストラを経営を承諾し、資金を援助したのです。

 

その他にも岩崎小弥太が音楽好きというのもあったようですね。

 

 

ここまではうまくいったんです。

ですが、ここからが問題。

 

それが、山田耕筰の女癖の悪さ。

 

山田耕筰は、結婚していたのにもかかわらず、

別の女性と不倫どころか、結婚してしまうんです。

浮気どころのレベルじゃないですよね!

 

 

その行動に岩崎小弥太は、大激怒!

すぐにオーケストラ出資を辞めました。

 

一番つらかったのは、山田耕筰と結婚した奥さんですよね。

岩崎小弥太以上に怒ってたハズです。きっと!

 

 

ちなみに、2回目のオーケストラ経営を断念した理由は、関東大震災。

これ以降、オーケストラを経営することは、なかったみたいです。

山田耕筰と結婚た妻は誰? 子供はいるの?

最後に、

山田耕筰の結婚の話題!

 

山田耕筰は、結婚をしているのにもかかわらず、別の人と結婚していましたよね!

元々山田耕筰と結婚していた奥さんを紹介したいと思ったのですが、

山田耕筰は、何度も結婚と離婚を繰り返して

誰が最初か?

までは、分かりませんでした。

 

 

その代わり、僕が分かった範囲で結婚した相手を紹介したいと思います。

 

まず、声楽家の辻輝子(つじ てるこ)

 

そしてもう一人が、ドロテア・シュミット

ドロテア・シュミットとは、1915年2月5日。

山田耕筰がドイツ留学したときに

ドロテア・シュミットがその下宿先の娘をしていたみたいです。

 

僕が分かったのはこれまで、

 

山田耕筰のまとめ!

  • 山田耕筰は、1886年6月9日東京都生まれで、12月29日に心筋梗塞に亡くなった。
  • 代表作に「赤とんぼ」、「ペチカ」、「鹿児島県民の歌」、「待ちぼうけ」などがある。
  • 山田耕筰は、女好きで結婚していたのにもかかわらず別の女性と結婚した。それが原因で、初めてのオーケストラ経営を断念せざるを得ない状況になった。

 

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